ポンコツ親父って、どんな奴?

自己紹介

自己紹介(プロフィール)です。

皆さんこんにちは、ポンコツ親父です。先日、こんなツイートをしました。

もう一つは

今日はこのブログを読んでくれたあなたに、オイラの事をどんな奴か知ってもらって、少しでも関心を持ってもらえたら嬉しいなぁと思い、生い立ちから現在までをサラっと紹介しちゃいます。

下町の床屋のせがれ

1968年5月26日生まれ (52歳) 申年のA型 東京都大田区の床屋の長男として爆誕‼

  • 商店街の外れで育ち、毎日のように商店街の親父たちにられるヤンチャ坊主
  • 毎日、外で遊びまわる典型的な昭和のガキ大将
  • 人を笑わせることが大好きで教室ではいつもふざけて、担任の先生怒られるお調子者
  • 得意( 国語・英語・短距離走・跳び箱 ) 苦手( 算数・理科 )です。

中学校入学とともに地元のヤンキーグループにッ!

  • 当時は(ツッパリ)と呼ばれた。ヤンキー小僧の全盛期 始めは同じ区内の学校の代表(番長)同士で、タイマンで優劣を決めていく!
  • 一番楽しかった時期、毎日ゲーセンにたむろする。中二の夏休みが終わった9月にお袋が脳卒中で倒れる。我が家は高血圧の血統書付き!
  • 中三 先輩から原チャリを買わされる(HONDAのタクト)パンチパーマに眉毛なしでも、生徒会の副会長

高校進学を諦めて、理容師の専門学校へ

  • お袋の居ない家計を助ける為、中三でアルバイトを掛け持ち
  • 朝は4時起きで近所の青果市場へ八百屋の仕入れ、夕方からは寿司屋の配達
  • 中学校の卒業と共に自動二輪車の免許を取得、働く事が、嫌ではなかった。
kawasakiから出たばかりのGPZ400を新車で購入した。

羽の生えた鉄砲玉 ここからオイラのしくじり人生劇場が幕を開ける

  • 同級生が電車で高校へ通う中、自分は単車で専門学校へ
  • 仲間に誘われ、女子高の学園祭にも単車で乗り込む!族車じゃないから女の子にも人気
  • 先輩たちにサーフィンに誘われ、初サーフィンは何と、新島ッ! 今思えば、超無謀

親父が暴走!両親が離婚へ~

今迄の床屋の店舗はテナントだった為、親父が店舗付き住宅を千葉県で買うと言い出した。もちろんまだ左半身に麻痺が残るお袋は猛反対!
 しかし親父の暴走は止まらず、離婚! オイラはそのまま理容学校を卒業し(理容学校は1年で修了)千葉の自宅でインターンへと

  • 千葉の自宅でインターンをするも、地元のヤンキー達がパンチパーマをあてにやってくる。同年代と意気投合!
  • 東京から来た奴が、新しい床屋に居ると地元の高校で話題に上がり、女子学生がのぞきにくる。モテ期到来❣
  • 18歳で車の免許を取得するが、当時のインターン生の給料(月手取り7万円)では車は買えず、建設業へ飛び込む!
  • 当時、バブルの真っ只中!高級車ブームに乗っかってハイソカーの代名詞TOYOTA ソアラ2.0GT TWINTURBOを見栄張って購入!(60回払い)
女の子にモテたい一心で300万円近くの借金を抱える、大馬鹿野郎‼ (笑)

型枠大工の親方に拾われて、仕事が楽しくなって行く

子供の頃から、モノ作りが好きなオイラは型枠でコンクリートの造形物ができ上がって行くのが好きになる。図面を睨み、加工図を書き、下拵えをしていざ現場へと乗り込む! 足場を上り組上げた梁を受けて、柱に収める。どんどん形になっていく行程が楽しかった。

カミさんと出会い、でき婚で親になる!

鬼のように働き、毎晩のように飲み歩く、独り暮らしの寂しさを紛らすために!

  • 27歳、仕事のピークを迎えた、ある夏の日休みも取れず、65日間の休みなし毎日、pm9:00まで残業し帰宅とともに飲みに行く。
  • パブのお姉ちゃんとチョットした言い争いがきっかけで、異常に馬が合う
  • 彼女との間に長男を設けることとなった。子供が好きなオイラはとても嬉しかった。

新築一戸建ての購入と長男のネフローゼ症候群

  • 28歳の時に長男が生まれる。H8年7月8日 オイラは初めて、父親になった。
  • 両親にとっても、初孫が誕生する訳だ。東京から重たい体を引き摺ってお袋も駆けつけてくれた。
  • 分娩室に入っていく妻を見送り、「ここからが長いんだよ‼」とお袋に言われ、祈る気持ちで待合スペースのベンチに腰掛けた。
  • 落ち着かない気持ちを紛らすために外へ出て煙草を一本吸い、トイレに行って用を足して戻ると看護師さんが出てきた。
  • 「お父さんですか?おめでとうございます!元気な男の子ですよ。」とこの間僅かに15分位‼「あれ?」(笑)

こうして、オイラは父親になることができました。初めて、自分の子供を抱いた時は、嬉しさと感動で身体じゅうが熱くなったのを改めて思い出しました。

長男の誕生から一年が過ぎ、歩き始めた子供を見ていて「こいつはオイラに似ているから大きくなったら、走り回って遊ぶんだろう」と思い、今の住まいではダメだと感じました 。当時、「交通量の多い地元の通勤道路の脇のアパート住まい」 「よし!家を買おう!」バブル経済が弾けて、土地の値段も下がり出していたので、家を購入できるチャンスだと思いました。(その後はもっと下がる、ここでしくじる!)

  • 近くの住宅街に建売住宅のオープンハウスを見に行く
  • 住宅金融公庫の金利が下がった事を確認(現:住宅支援機構)夫婦の貯金を確認
  • 返済計画を夫婦で話し合って、夢が広がる。(幼少の頃、母と生き別れた妻も家族愛に飢えていた)
  • 何度も銀行へ足を運び、相談に乗って頂きました。土地だけの購入には金融公庫は融資をしてくれないと知る。
  • 幸せな仲の良い家族に憧れて、一戸建て住宅の購入を決意!

新築の家に住みだして一年が過ぎたある日、長男を風呂に入れようと裸にさせた時に異様にお腹周りが浮腫んでいるのを見つけて
「ママ、ちょっとこれ見て!なんだろう?」妻と二人で、息子を近くの大学病院へ連れて行った。ネフローゼ症候群との診断が下され、息子は即入院となった。腎臓の病気で本来、腎臓の役目はろ過装置のようなもので、排尿の前に腎臓が体内に取り込むべきものと排泄するものをろ過して、不要なものは排泄するのだそうで、その機能が何らかの原因で機能していないとの説明を医師から受けた。その日から、約二年毎日仕事帰りには病院へ行き
息子を寝かしつけてから、帰宅 息子のいない家は静かすぎて、広すぎてとても寂しかった。病院にいる息子はもっと辛いだろうと思うと泣けてきた。息子がこんな目に合うのは自分がいけないのだろうか?誰のせいにもできないやるせなさをお酒で誤魔化す日々もあった。

アクアラインでの通院

息子が入院生活を送るようになって一年半が過ぎたある日、オイラは仕事が早く終わり、その日は日中から息子の顔を見に行こうとpm3:00からの面会時間より早めに小児病棟へと行ってみた。そこで、オイラは愕然とすることになる。

  • 小児病棟のベッドの上で一人で座り込み、無心で手の爪を噛む息子の姿を見る!
  • 子供らしい笑顔も、わがままを言って泣く小憎らしい顔でもなく抜け殻のように只、指の爪を噛んでいる。
  • 「やっぱり、つまんないだろうなぁ」そう思い部屋の中に入り、ベッドへ近づくと足の指の爪まで剥がし足は血だらけ!
  • 手も足も全ての爪をむしっていた。痛いだろうに、「何故、こんなになっているのに誰一人気付かず、手当もしてくれないんだ?ココは病院だろ?」

あの時は、猛烈に頭にきた‼ナースステーションに怒鳴り込んだ。すぐにお袋が昔、脳卒中でお世話になった。東京の医大に相談、腎臓専門の先生を紹介して頂き、東京へと通院することにした。「まだ、遊びたい盛りの子供をいつまでも入院させていたら、子供の精神に異常をきたすよ!ほかの病気になっちゃうよ」その先生はこう言ってくれた。ここでも、オイラはしくじった!ダメな親だった。

  • 退院後、食事の管理や体調管理に気をつけて、息子は普段通りの生活に戻る。
  • 幼稚園に入園し、運動会もお遊戯会も経験できた。
  • リトマス試験紙みたいなやつで毎朝、尿検査を行いチェックを続け、でも息子が一緒にいる生活はとても充実していた。

時を同じくして一方で 、オイラを拾ってくれた型枠大工の親父(社長)が亡くなり、社長の息子である(オイラが兄と慕う)社長の長男が後を継ぐことになる。そこで、オイラは取締役に就任、若い社員が多かった為、会社経営の一端を担うことになる。

  • 建築の現場での職長として、お客様(元請け)に対して、工期行程を守り、安全第一でより良いモノづくりに貢献する。
  • より、クオリティの高い躯体を目指して、1mm、2mmの狂いにも気を使い精度を求めて、仕事をこなす。
  • 時にはゼネコン社員とも言い争いにもなるが、品質の良い建物を胸を張って顧客(発注者)にと届けたい思いで、がむしゃらに働いた。
  • 自社の利益もさる事ながら、建物を使う人の抱える、思いにも気を付けて、作業をして進めてきたつもりだ。

平成16年、17年と立て続けに次男、長女が生まれる‼

長男のネフローゼ症候群も落ち着きだし、一人っ子ではつまらないだろうと、第二子を持つ事を決める。少し離れてしまったが、兄弟がいた方が良いのでは?そんなことを考えていた。決して裕福ではないが家族が増えて賑やかなら、楽しいだろう。そんな気持ちがきっかけで第二子を儲けることにした。

  • 平成16年3月 次男(妻の妊娠中毒症により、予定より2ヶ月早く生まれる。 )
  • 平成17年8月長女(我が家に待望の女の子が誕生する)東京のお袋も大喜び!オイラの家系は野郎ばかり😅
  • 子供が増えて、やる気も倍増!これからが、踏ん張りどきだと気合十分!

家族が増え、毎日が運動会のようにバタバタしていた。貧しいながらも賑やかで笑顔の絶えない家庭になれた。

リーマンショックの影響で単価が下がる

2008年9月アメリカ合衆国の投資銀行【リーマン・ブラザース・ホールディングス】が経営破綻の為に倒産したことを受けて仕事が激減!企業の設備投資が激減したことで、建設業は大きな影響を受けることになった。当然、受注件数が減れば、少しでも安くできる所へと仕事は流れ、市場の価格破壊が起きる。
【リーマンショックとは】

  1. アメリカでリーマン・ブラザースが倒産
  2. リーマン・ブラザースに投資していた銀行や投資家は大損失を受ける!
  3. 新たな事業・設備に投資出来ない!
  4. 仕事の受注が減る。
  5. 少ない仕事を受けるために安くする=給料が下がる。

東日本大震災・東京オリンピックの開催決定・天皇の退位と皇太子の即位

何だかんだと言って、ここまでオイラが頑張って来れたのも、妻と子供たち、お袋、周りの仲間たちの支えがあったればこそ!時代は変わるが
もう少し、あと十年はいける!….そう思っていました。

時代の節目と人生の節目

2019年4月26日 ゴールデンウイーク直前のその日、休み明けから始まる新しい現場の下拵えの為に加工場に行っていました。
昼休み、その日はちょっと寝坊して弁当を用意できなかったので、近くのラーメン屋さんで昼食を取ることにしました。ラーメンを食べ終え席を立とうと思った瞬間でした。『あれ?足に何の感覚も無くなった。神経がふっと途切れた感じ足が動かせない』その場で一緒にいた息子の肩を借り、店の外へ『しびれが切れたかな?』長時間正座していた訳ではないが、そんな感じだった。しばらく休めば治るだろうと思っていた。
昼休みが終わり、仕事をしようと思ってもまだ足が動かし辛い。そこで初めて、『脳梗塞かな?』と疑った。そして息子に運転を頼み、病院へと向かったのだ。

 

  • 救急車を呼ばずに、車で病院へと向かった。
  • 近くに病院ではなく自宅の近くまで戻る。片道70分程かかる場所から
  • 発症から4時間を超えたため、薬で血栓を溶かせないことになる。
そのまま、入院!翌朝、目覚めると病室にいた。『やっぱり、オイラ脳梗塞になったんだぁ』夢ではなかった。トイレに行きたくなりナースコールで、看護師さんを呼び、トイレに行くと言うが、ダメだと言われた。自分では動かし辛いが動かせた。しかし実際に立ってみると平衡感覚がなく、まっすぐに自分が立てて居るのかすら分からなかった。それから一週間ほど、寝たきり生活を余儀なくされた。そして、ベッドの上で令和元年の初めての朝を迎えた。

絶望からの決意!

  • バランス感覚を失い高い所での作業はもうできない!大工職人としての命をもぎ取られた
  • 今まで感じたことのない、衰えを感じる。 自信の喪失
  • 50歳からの再スタートに対する不安

どん底に叩き落されたという、絶望感に襲われる。『死んだ方が楽かな?』今迄、こんな気持ちになったことは一度もなかった。しかし、『今回だけは無理かもしれない!』という思いが沸き上がり自己嫌悪に陥りそうになっていた。ふと、目の前を見ると向かいのベッドの患者さんが読んでいた新聞の見出しが目に留まる。『新天皇 ご即位』時代が変わった。そう言えば、『オイラが成人式を迎えた時も昭和から平成に変わったな』
自分の人生の節目はいつも、時代が変わるな…『‼そうか‼オイラには何かしらの役目があるのかも知れない!』その時、思った!時代の節目に人生の転機が来るということは何かやれってことだ‼そう思うと自分にも何かを伝える使命があると思えて、こんな所でくじけてちゃ死んでも死にきれない、『次の時代の主役たちに伝えなければいけないことがあるんだ!』そう思えた。

『本気で仕事へ向き合う姿勢とか、職人として建物に込める思いとか、使う人の身になって考える事とかいっぱいある!技術だけじゃない人としての何かがある。』そう思い、体が熱くなった。

リハビリしながら、目指すこと!

今の若手にオイラの想いを押し付けてよいものか?

  • 今こうして、オイラが思ってやってきたことは、誰かに言われて覚えたことか?
  • 自分が若手の立場なら、聞かないだろう。自分で考えやっていて、親方たちに認めてもらえたからだ。
  • では、どうやって伝えよう?

こんなことを考えながらリハビリに励み、伝え方を探していた。そんなある日、娘がいつも見ているYouTubeに目が留まる。いつもくだらないことで、子供達が笑い転げているだけだと思っていたが、その日は、料理か何かのレシピを見ていた。『そんな動画もあるんだ?』『えっ!知らないの?いろんな勉強できるんだよ。』そこで、どんなのがあるのか調べてみると【コーチング】の文字を見つけた。『コーチングって何?』
これがコーチングとの初遭遇だった。

無料体験セッションを受けてみた結果!

  • コーチングがオイラの思う、若手社員の成長にとても役立つと実感する。
  • コーチとして沢山の人の為に夢を叶える事をサポートしたいと思う
  • 学んだスキルを実際に子供(反抗期真っ只中の高1と中2)に試すと効果が歴然!

こうして、オイラはコーチとして、建設業で培った技術のノウハウとコーチとしてのスキル、自らが体験してきた事を基に、役に立つ情報を発信して、目標の達成や夢を叶える為の伴走者として、役目を果たしていきたいと思う。

 

サラッとのつもりがなんだか長話しになってしまった(汗)もしあなたがオイラに興味をもってくれたなら、是非是非続きも見てやってください。
お読みいただき、本当にありがとうございました。良かったらポチっと押してくれたら今後の励みになります!

  

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